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当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第6章~


『思いは東北!』当別院僧侶が見た東北の11年後 追悼旅

§ 第6章  奇跡の一本松と陸前高田


◎『奇跡の一本松』

奇跡の一本松

陸前高田といえば、やはり「奇跡の一本松」です。
高田松原は津波に襲われ、一本の松だけが奇跡的に残りました。

見づらいですが、松の向こうに壊れた建物があります。
ユースホステルです。
奇跡の一本松はこのユースホステルのおかげで残りました。
ただ今は枯れてしまい、レプリカとなっています。4月12日の新聞で知りました。
一本松の根っこが防腐処理されて、東京のビルに鎮座され、見ることができます。
根は直径13m、これも残った理由の一つです。

3年前は仮設の道の駅から結構歩きましたが、今は整備されていますので、駐車場から5分くらいです。

気仙中学校

奇跡の松に向かってお声明を・・・

奇跡の一本松と気仙川を挟んだ対岸に見えるのは、気仙中学校です。
教職員、生徒は写真奥に見える山に 避難して犠牲者はありませんでした。
現在は廃校です。




◎陸前高田市の被災状況

「道の駅 高田松原」で被災した建物

「道の駅高田松原」の被災した建物です。
矢印のところに赤い板があり、到達した津波の高さ14.5mを表示しています。
陸前高田市は、太平洋側では岩手県の最南部に位置します。

震災では行方不明者202名を含めて、1,808名が犠牲となられました。

海岸は松の防風林がなくなり、巨大な防潮堤と水門に、防潮堤の海側にはかつての松林を復活させるべく、苗木が植えられています。
海岸から続く平野部は10mのかさ上げをし、被害の多かったところは商業施設となっています。住宅はもともと少し高いところに、さらにかさ上げをして再建されています。しかし住宅の多くは高台に再建されています。

ユースホステルの一部と
気仙川河口の水門
防潮堤の上から広田湾を望む
ふもとには松の苗木が植えられている
陸前高田診療所



◎陸前高田診療所

社会福祉法人恩師財団済生会 陸前高田診療所です。
2016年4月に初めて訪問しました。
私は済生会の病院に勤めていたことがあります。
済生会の広報により、陸前高田診療所のことが紹介されていたのが、訪問のきっかけです。以前は内陸部の仮設診療所から出発、数年後に現在の場所に移転しました。
3年前に行ったときはこの診療所です。

*「思いは東北! 平井和広」でネット検索してください。神戸医療事務センター版の第2版と第3版を見ることができます。所長は伊東紘一先生、先生のことや2016年の訪問内容は東北レポート第3版をご覧ください。


伊藤先生のご自宅

建築中の伊東先生のご自宅です。
やっぱり伊東先生に少しふれます。
自治医科大名誉教授、常陸大宮済生会病院名誉院長で、超音波診断の大家です。奥様は陸前高田の名家出身、津波でお母様と弟様が犠牲になられました。
私財を済生会に寄付、診療所の設立に多大なる寄与をされました。先生はこう言われました、「俺はここ陸前高田の土になる」、東京から決意しての移住です。
そんな先生にも葛藤がありました。
身内には震災による犠牲者もでず、被害もそこそこで震災太りした人の言動です。

「津波様々や」
この言葉で心がくじけそうになった。人として許されませんよね。

話は変わりますが、仏様の額にいぼのようなものが有るのをご存じですか。
阿弥陀様、お釈迦様・・・
第3の目という説があります。
建築中の屋根に3つの明り取りが見えますが、これにちなんだデザインといわれました。このいぼのようなものは「白毫相(びゃくごうそう」とよばれる毛の塊です。この場所に心の目、第3の目があり、ここから世界をあまねく照らす光を放つとの説があります。如来様、菩薩様にあるようです。

さてさて、伊東先生とは再会をお願いしてのお別れです。


◎曹洞宗普門寺

曹洞宗 普門寺 五百羅漢

震災ご遺族、行方不明者ご家族が手を合わせる場所を考え、各方面の協力のもと、石材の提供、石仏作成の指導を行い、亡くなられた方、行方不明者を偲んでそれぞれに彫られた石仏が置かれています。陸前高田市の普門寺です。

震災によりその危険が去った後、その生死が1年間明らかでないときは、家庭裁判所は申し立てにより失踪宣告することができます。失踪宣告とは、生死不明者に対して法律上死亡したものとみなす効果を生じさせるものであります。

ご遺体の確認することのできない行方不明者のご家族は、その生死について気持ちの整理をすることができません。申告することにより、行方不明者は法律上では死亡したことになります。行方不明者が、自分の申告により死亡という現実に罪悪をも感じえない人がいます。ご遺体が目の前にあって、死亡を受け入れることが出来ます。行方不明者ご家族の複雑なお気持ちに寄り添う、普門寺の五百羅漢です。

防潮堤にてお声明

*五百羅漢とは、お釈迦様入滅後の第1回経典結集(けつじゅう:集まること)、第4回結集の時に集った500人のお弟子さんである羅漢(阿羅漢)のことです。
阿羅漢とは、尊敬を受けるに値する人を指しています。
今日では、五百羅漢は石仏が多く集まっていることとも言い表されます。

8日は結構ハードなスケジュールとなりました。
朝の結願寺から始まり、大槌町へ移動、釜石に南下、そして道の駅高田松原での車中泊。

9日は陸前高田市内を回り、再び高田松原で車中泊です。

10日朝、防潮堤でお声明の後、気仙沼を経由して南三陸町を目指します。


ここでまたまたお説法を・・・
「人間だもの」のフレーズで有名な書家、詩人の「あいだ みつお」さん、
こんな名言(詩)があります。

花を支える枝  枝を支える幹  幹を支える根
根はみえねえんだなぁ

見えないところにこそ、社会の真価があり、人の価値があると。
見えないところに気が付くような人になりたい。そして見えないところでも頑張れるような人になりたいものです。
まさに奇跡の一本松、直径13mの根っこが頑張りました。

ある僧侶がこんなお話をしました。
「仏教において、蓮の花は尊いお花といわれます。根は泥の中(不浄)にありながら、水面に咲くお花は美しい。如来様や菩薩様の多くは蓮の花の台(蓮座もしくは蓮華座という)に鎮座してまします。人間になぞらえると汗をかいて、泥まみれになりながら苦労、努力して、やがてそれが実になり美しい花(結果)となる。このようなことではないでしょうか。」
美しい花(結果)だけが目に映りますが、それを支えているもの、根っこ(努力)があってのことだということを忘れてはいけません。


*乱文、誤字脱字をお許しください。
*犠牲者のデータは2022 年 3 月、原発避難者のデータは 2022 年 2 月のものです。
*レポートは自由にお使いください。
*追悼旅の実施にご理解、ご協力を賜りました方々に感謝申し上げます。