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当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第11章~

『思いは東北!』当別院僧侶が見た東北の11年後 追悼旅

第11章 女川町での追悼

女川町は雄勝町と同じく、沿岸漁業、養殖が盛んな町です。また、石巻市と
またいで在る女川原発の町でもあります。幸い原発事故はありません 。
原発は震災後、休止しています。そして俳優・歌手の中村雅俊さんの故郷です。
津波は最大14.8m(記事によっては20m)、約1万人の人口のうち行方不明者257名を 含む872名が犠牲となられました。
そして、町内の家屋の9割、3,900棟が被害に遭いました。

女川町は3年前に訪れて、今回が2回目となります。
大川小学校で別れた結願寺一行とばったり出会いました。

「シーパル女川」
女川港から内陸に向かう緩い坂道に作られました。
このあたりが商業エリアです。
左右に飲食店、海産物販売店.. と並んでいます。
おしゃれな商店街です。

女川港です。
女川湾に面した漁港、漁港から直にすぐそこにあるシーパルの店舗に魚が並びます。
女川町の復興は早かったと聞きます。巨大な防潮堤にこだわらず、商業エリア、工業エリア、住宅エリアと切り分けをして進めました。
海岸、港から近い地域は商業エリアと工業エリアに、住宅は元の土地にこだわらずに高台地域に切土、盛土、かさ上げをして作りました。
町役場は商業エリアの北側、小高い山の上にあります。女川湾を眺めることができます。

町役場にある震災慰霊碑です
女川港、女川湾が望めます。

 エリア分布は、こんな感じですかね。
住民の命を一番に、復興をいち早く達成した女川町です。

女川町では結願寺一行と別行動、一行は町の追悼式前にお声明を、一緒に追悼式に参加して、私は終了後にお声明しました。


ここでまたまた批判を、町の追悼式でのことです。追悼式では黙とうの後、町長追悼辞、町会議長追悼辞、町長献花、町会議長献花、町議献花で一般献花と進みました。あれっ、遺族の出番は? 一般献花に紛れています。追悼式は政治的なものではありません。犠牲者を追悼し、遺族の思いを大切に行うものです。
勘違いしていませんか!!
この後、近くの第七十七銀行女川支店に。震災では支店屋上に避難するも12名が犠牲となられています。敷地には慰霊碑があり、お声明をさせていただきました。
この第七十七銀行女川支店で行方不明者のご家族で、震災後に潜水士の資格を取得し、奥様を探し続ける方がおられます。
そして石巻市出身、神奈川県のダイビングショップに勤務していた高橋さんは、震災後女川に移住、シーパルでダイビングショップを経営しながら、この男性のサポートをしつつ、多くの行方不明者の手がかりを求めて海に潜ります。

さてさて11日のハードなスケジュールの最後は、名取市閖上地区です。計画時間を大幅に遅れてしまいますが、石巻市、東松島市、塩釜市、多賀城市、仙台市を抜けて名取市閖上地区を目指します。

ここで、前回訪問時のエピソードをご紹介します。女川から石巻へ向かう道中、JR石巻線を走る電車と並走しました。石巻線は震災により分断され、女川まで全線開通したのは2015年3月のことでした。
女川の駅舎は内陸部に移動するように再建されています。JR常磐線、三陸鉄道もそうですが、走っている電車を見ていると復興を実感できてうれしくなってしまいます。