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当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第5章~


『思いは東北!』当別院僧侶が見た東北の11年後 追悼旅

§ 第5章  釜石 うのすまい・トモス

釜石、かつては製鉄業が盛んでしたが、今は人口3万人余りの小さな町です。
そして、「北の鉄人」新日鉄釜石ラグビー部の町です。
東日本大震災では9.3mの津波が押し寄せ、震災関連死、行方不明者を含めると1,000名を超える方が犠牲となられました。
津波で流された小・中学校の跡地には、鵜住居復興スタジアムが・・・


◎鵜住居復興スタジアム

鵜住居復興スタジアム
(※ 鵜住居復興スタジアム 公式サイトより引用)

2019年ラグビーワールドカップ、復興スタジアムでゲームが行われることが復興のシンボルであり、9月25日にはフィジーVSウルグアイ戦が行われました。
常設6,000、仮設10,000の客席に地元、近隣、東北、全国は及ばす゛海外からも14,025人が観戦に訪れました。

集まった人たちは知っています。
釜石の歴史と被災、そしてラグビーが大好きなことも。

スタジアムが震災を忘れるかごとくに沸きあがりました。復興のステップを駆け上がった瞬間です。
写真でスタジアムメインスタンドの後ろ(南側)に山が見えます。スタジアムのある場所は、津波で被害にあった小学校、中学校の跡地です。この北側近くには鵜住居川が、海は1kmくらい離れているかと思います。津波は川を遡りながら周囲に広がっていきます。小学校、中学校も飲み込まれてしまいます。しかし、生徒たちは南側の山に登ったのであろう、幸いにも犠牲者はなかったといいます。学校はより安全な場所に移転しました。

スタジアムは、
 ①釜石市・岩手県のスポーツ、文化の発展
 ②震災の記憶と防災の知恵を伝える
 ③ラグビーの町 釜石のレガーシーを伝承する・・・
ことなどを目的として建設が計画されました。
スタジアムの建設とワールドカップゲーム招致が釜石復興のシンボルです。


◎釜石祈りのパーク

釜石祈りのパーク

うのすまい・トモスにある「釜石祈りのパーク」です。
復興スタジアムから直線で500m離れていない内陸部にあります。 石碑には犠牲になられた方々のお名前が刻まれています。薄暗くなってくる中、少し風のある中でのお声明でした。
写真奥には山を切り開いた小高い丘が見えます。ここに幼稚園、小学校と中学校が建てられました。


◎釜石の奇跡

釜石では小学校、中学校に通う生徒のほぼ全員が無事でした。
中学生は小学生の手を引いて高台へと避難しました。
徹底した防災教育の成果だと高く称賛されていますが、どうだったのでしょう。避難には誘導を行ってくれた住民、水門を閉めに行った消防団員、教員の適切な指示などが重なった結果と言えます。このことが奇跡の起こりえた要因なのです。

三陸地方には「てんでんこ」という言い伝えがあります。
地震、津波が起こったときは、それぞれに逃げなさい・・・
子供はどうなったろう・・・
家や学校を探しに行って津波の犠牲となられた方々が多くいます。
現実には、私も気になってそうするでしょう。
釜石の奇跡、てんでんこ…日頃よりの防災教育、防災訓練が少しでも犠牲者を少なくします。

よく防災といわれますが、自然の驚異は時として人の考えを上回ります。
少しでも被害、犠牲者が少なくなるように減災にも目を向けましょう。

岩手県宮古市田老町、過去の津波対策から10mの防潮堤をつくり、チリ地震津波で防潮堤の存在が注目されることに。
町は「津波防災の町」を宣言しました。
ところが、東日本大震災で自慢の防潮堤は一瞬に破壊されました。
防潮堤があるからと、安心していて避難しなかった住民は津波の犠牲となられました。


自然の前には絶対はありえません!!

三陸鉄道 ラッピングカー


三陸鉄道のラッピングカーです。
お声明を終えて着替えていたら、何やら音がする、慌ててスマホを手に。
遠くで分かりにくく、ごめんなさい。
2両編成、鵜住居駅に停車しています。


8日の予定は大槌町どまりでしたが、富谷市結願寺出発から大槌町到着が予想より早くなり、勢い釜石市まで南下してしまいました。
復興スタジアムの情報はありましたが、訪問を計画していませんでした。
当日に寄ろうかとも思いましたが、下調べをしていない、暗くなってきたことで断念となりました。次回への課題とします。
さて、薄暗くなってきましたが、勢いのまま陸前高田市まで車を進めます。

釜石市での東日本大震災において、1,146名(行方不明者152名含む)が犠牲となられました。


*乱文、誤字脱字をお許しください。
*犠牲者のデータは2022 年 3 月、原発避難者のデータは 2022 年 2 月のものです。
*レポートは自由にお使いください。
*追悼旅の実施にご理解、ご協力を賜りました方々に感謝申し上げます。