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当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第2章~


『思いは東北!』当別院僧侶が見た東北の11年後 追悼旅


§ 第2章 強風の山元町(中浜小学校、千年塔、夢ファーム、普門寺)

山元町は旧坂元町と旧山下町が合併しています。町役場は国道6号線沿いの内陸、少し高い位置にあります。津波被害はありませんでしたが、地震被害を受けています。国道6号線の東側は平野、津波の被害を受けました。山元町ではボランティアセンター(以下ボラセン)活動に参加、ボラセン閉鎖後はNPO活動に参加しています。


◎「震災遺構 中浜小学校

中浜小学校

県道38号線沿いにあります。
海に近く、2階の天井位置まで津波が押し寄せました。
周りにはかつてあった民家はありません。
中浜地区では137名が犠牲になられています。                             



◎「千年塔」           

千年塔

中浜小学校近くの「千年塔」です。
犠牲者を追悼すべく、曹洞宗徳本寺さまが石材店の協力により建立しました。西大寺の「叡尊塔」、これをモデルとして同じ大きさで作られています。
近くに県道38号線が走っていますが、復興工事で盛土の上に、 防潮堤の役目も兼ねています。

*千年塔の先に中浜小学校が写っています。
*東北最初のお声明をさせていただきました。


◎「JR常磐線坂元駅」

JR常磐線坂元駅

海近くにあった駅は内陸に移動、かつ高架となっています。
震災では駅舎が流され、ホームのコンクリだけが残っていたのを忘れません。隣の山下駅も内陸移動、高架となっています。
運行本数は多くありませんが、やっぱり復興のシンボルです。
ただ、高架になったことで風に弱く、強風時には運休が…
この日は雪がちらほら、ちょうど電車が到着しました。



◎山元町の慰霊碑

山元町 慰霊碑

かつてこの場所は山下駅のあった場所です。
3年前には駅舎が残っていましたが、撤去されています。
ここでもお声明をさせていただきました。
この日は強風、立っているのも困難でした。
山元町は西に奥羽山脈、吹きおろしの風の日があります。強風で砂埃が舞い上がります。                         


◎夢ファーム

夢ファーム

NPO法人「未来に向かって助け合い」が運営している「夢ファーム」です。
現在はひつじが7頭、やぎが2頭とポニーの“夢”が飼われています。
災害ボラ依頼がなくなった後、地元支援に特産物(桑茶)を作ったり、子供の遊び場の提供を行っています。現在はコロナ禍で夢ファームのお客は減少↓
運営に赤信号が点っています。
施設の維持などには多くのボランティアが参加していましたが、これも激減してしまいました。
震災から11年も経てば、コロナ禍に加えていろいろな問題が発生しており、経営だけでなく存続を含めての赤信号点灯。

山元町の特産 イチゴとリンゴ

山元町の特産物はイチゴとリンゴです。
隣接する亘理町でもイチゴは特産品です。
2011年10月が最初の山元町支援、この時はイチゴ農家において苗の手入れを手伝いました。山元町は平野が広く、その分津波の被害が大きく、津波被害の集中している平野部では新規での住宅の建設は出来ないそうです。
以前に住宅のあった人の再建は可能と聞きます。

                                

夢ファーム“夢”

夢ファームの“夢”
以前は3頭のポーニーがいましたが、3頭とも亡くなり、新しい夢の1頭だけとなっています。子供を乗せてゆっくりと歩みます。お食事に夢中で、なかなか良いアングルに入ってくれません。

夢ファームには3年ぶりです。
以前ファーム前の道はダンプが通り、砂埃が 立ち上がります。その前の道は県道38号線で、再建は前述したように盛り土の上、場所を探すのに一苦労しました。ファームの地主さんは仙台在住の方で、奥に写る住宅は3mのかさ上げをして建築しました。時折風通しのために通っています。
11年も経てば、地主さんもNPO代表も高齢になりました。この先の存続について、お互いにいろいろと悩んでおられるようです。遊ぶ場所の少ない子供たちにとって、ファームの存続が望まれます。


◎曹洞宗 円通山普門寺

曹洞宗 円通山普門寺

住職は坂野文俊さん 1963年生まれです。
昼過ぎに訪問、外出予定があり少しのお時間でお話を聞きました。また、夕方帰ってからでもとのことで、再度の訪問を行いました。
震災では約250人の檀家さんのうち、約60人が犠牲となられました。お寺は骨格が残るものの、すべてが流されて当たり前ですが、呆然としたそうです。
檀家さんのおばあさんが、お経をあげてほしいとの依頼に、何も無くなった、気持ちの整理が出来ないこともありお断りをすると、激怒されました。そこで我に返って、他寺に装束を借りに行き、おばあさんに土下座で詫び、お経を唱えたという。

お寺は地域住民のためにある、一人でがれきの撤去を始めると、やがて住民やボランティアが加わります。2011年7月に「おてら災害ボランティアセンター(てらせん)」として多くの依頼を受け付けることになる。2014年1月 てらせんから「おてらマルシェ」に衣替えして、月に1回の元住民や住民の交流の場を提供する。
しかし、コロナ禍において現在は休止中である。
震災後、お寺での初盆はブルーシートとコンパネの仮設本堂で行ったという。骨組みの残ったお寺を5年計画で再建した。

ご住職 板野文俊さん

寺族であったが、僧侶になる選択肢はなかったという。
ヘビースモーカーであり、勉強が嫌いで法話もしない。何か聞きたければ後日お寺に来るように、それまでに調べておきますと対応するという。顔見知りの葬儀では号泣してお経をあげれなかったこともある。ある意味では破戒僧ではなかろうか。
でもそんな彼のもとには多くの人が集まる。いやなんとも人間味のある和尚さんである。
息子さんの副住職に住職を継いでもらいたいが、周りに何もないところでは孫たちの生活も不自由であり、お寺での生活をとは言えない。自分は住職を退いても、僧侶として地域にかかわりたいという。
涙もろいところは、浅学な私とよく似た僧侶である。
*ご本尊は観音様。
観音様をご本尊とする寺院は、円通山(院、寺)とか普門寺と称することが多いとお聞かせくださいました。 


山元町では東日本大震災において、718名(行方不明者17名含む)が犠牲となられました。

6日はNPOが借りている地区の集会所で、久々に足を延ばして寝ることができました。 6日、7日も特にこれといった活動もせずに仙台方面に向かいます。そして7日は、仙台市に隣接する富谷市明石台の公園駐車場での車中泊です。


*乱文、誤字脱字をお許しください。
*犠牲者のデータは2022 年 3 月、原発避難者のデータは 2022 年 2 月のものです。
*レポートは自由にお使いください。
*追悼旅の実施にご理解、ご協力を賜りました方々に感謝申し上げます。