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当別院僧徒 教化活動レポート『思いは東北!』~第12章~

第12章 壊滅状態からの復興 名取市閖上地区

名取市は仙台市の南側に隣接します。
名取市閖上地区、「閖上の赤貝」で有名な古くからの漁師町です。
閖上浜は太平洋に面しており、かつ広浦湾を背にしています。
閖上地区は市の中心から7kmほど離れています。
その閖上地区では地震発生から1時間後に津波が襲ってきました。津波の高さは8.5mといわれています。地区では約5,600名の住民のうち犠牲者は、行方不明者を含めて1,027名とされています。名取市全体の行方不明者は38名、多くは閖上地区に集中しています。
閖上地区での多くの犠牲者発生のかげには、ここまで津波は来ないとの思い込み、自動車で避難するも渋滞により動かなかったことが要因とされています。
そして、市の作成したハザードマップに想定した危険地域以上に津波の被害が広範囲に出ました。
現在は約7mのかさ上げをして住宅の再建、なかには二重ローンに苦しみながら閖上に戻った人は約2,000人余りといいます。

閖上地区では、震災活動団体「神戸心絆」が持ち込んだ竹灯籠 約650本による追悼式典が 3月11日14時46分に行われました。
神戸心絆については、第14章でお話します。
竹灯籠を事前に送り、メンバーは10日に車で出発しています。
地方の方言で「わしぇね」、忘れないを意味しており、これと3.11の文字を形作りました。神戸の「希望の灯」から分灯された灯も一緒に閖上に来ています。その灯から竹灯籠へ灯が広がっていきます。いよいよ竹灯籠に灯がともされ、黙とうを行います。

竹灯籠の揺らぐ灯に、犠牲となられた方を思い浮かべて涙する姿も…
震災後11年、そしてコロナ禍において催事は縮小されていくなかで、多くの人が参加してくださり、「来年も必ず来ます」のお声かけに、メンバーはさらに竹灯籠追悼継続の決意を強固にしたという。
神戸心絆の活動には、ひょうごボランタリープラザの支援もあり、追悼式には職員も参加、お手伝いくださいました。

浅学な僧侶のエピソードです。
多くのお寺さんで、よく僧侶がこういうことをお話します。「亡くなられた方のことを忘れないでください」
てっきり経典に書いてあるのだとばかりに、「仏教では..」を前にくっつけてお話をしていましたが、お勉強の際にこれを話すと、宗学堂の仏教学の先生に指摘されました。経典には書いていない…
えっそうなのか、浅学な僧侶にできる手段、ネットで探してみるも見つかりません。
以降は、「仏教では..」をつけずに、「亡くなられた方のことを忘れないでください。亡くなられた方が生きていた証を語り継いでください。これが一番の、亡き人の思いに報いることです」とお話します。
合掌して涙する、亡くなられた方のことを思い起こされています。子供たちに孫たちに、亡くなられた方のことを語り継いでください。
よく「災害を風化させないでください」と聞きます。災害があったことを忘れずに、災害に対する備えに心がけてくださいと受け取られる方が多いと思います。
正解ですが、もう一つの意味が込められているかと思います。災害で多くの方が犠牲となられました。この方々が生きていたこと、生きていた証を忘れないでくださいとも言っています。
さてさて、誰なのか、浅学な僧侶とは? そうです、私のことです。

さて、女川町での追悼を終えて名取市に向かっている私ですが、仙台市内でものすごい渋滞に遭遇します。仙台市内の渋滞は有名だとか、この情報を把握しておらず、計画した時間をはるかに超えての到着となりました。あたりが暗くなってきている、閖上地区は初めてなのでさまよいます。スマホで連絡、指示をしてもらい、やっと到着したのは19時を回っていました。計画では17時過ぎには到着、17時46分(5時46分)に阪神淡路大震災を思い起こしてのお声明をするつもりだったのですが、残念です。
18時ころより閖上地区住民、神戸心絆、ボランタリープラザ職員と閖上地区の復興にボランティア参加を続けてきた人たちの交流会が始まっています。
朝から法衣姿でしたから、そのまま交流会場に現れると驚嘆の声が..。
そうなんですね、私の神戸心絆での活動歴は今年に入ってからで、住民の人たちと会ったのは1回きりでした。まさか僧侶が来るなんて、それも法衣を着て..。


緑のジャンパーは
神戸心絆のメンバー、
黒いベスト姿は、
閖上の自治会長の
長沼さんです。



夜半も過ぎて、交流会はお開きとなり、今夜はこの旅で初めてのホテル泊です。ホテルは「輪りんの宿 名取ゆりあげ温泉」です。
久々にゆっくりと温泉に浸かり、ベッドで足を延ばして寝ます。

(ホテルの写真は公式サイトより)
手前が広浦湾、奥に防潮堤が少し写っています。防潮堤の向こうは閖上浜、太平洋と続きます。

翌朝、ベランダから閖上浜が望めます。

防風林となるべく、松の苗木を植えています。
波にのっている人がいます。







そして、これまた久々にゆったりとした朝食の時間です。
メンバーとオレンジジュースを飲みながら、スローな時間を味わいます。
輪りんの宿、公式サイトを見ると「9年半の時を経て2020年10月…」とあります。震災、津波により再建までに時間を要したのでしょう。

閖上訪問は初めて、閖上の方々のお話は神戸心絆のメンバーから聞きます。
長沼さんは、家族、近所の人と屋根の上で一晩明かしたそうです。
長沼さんは工務店を経営されています。かさ上げ、住宅の再建、そして二重ローンを抱えた人のひとりです。
奥様を亡くされた方、息子さんを亡くされた方、お母様と奥様を亡くされた方..。交流会では明るく振舞っておられますが、一人で思い出すとやるせない気持ちで胸が張り裂けるのかと思います。
以前のレポートでも書きました、さっきまで隣で寝息の聞こえていた人が突然に消えてしまった、これが震災の悲劇なのでしょうか。

序章に書いていますが、「悲しみを抱えた人に寄り添いたい、その方便(手段)として得度に至りました」
浅学な僧侶の私が人の気持ちを理解し、人の悲しみを癒して差し上げる、そんな思い上がった考え、気持ちはもっていません。お声明を唱えて、時として一緒に泣くことしか出来ません。山元町の普門寺 坂野住職と同じです。次回訪問時は、それぞれのお宅でお声明をあげさせていただきたいと思います。

輪りんの宿でメンバーと別れて、再び国道6号線南下に出発したのは12日9時を回りました。原発事故被災地を再び走り、記録するためです。


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