京都学院第16期生 戸田公人(法名:釋真遊)
目の前の課題をひとつずつ
かつて私は、自分の力と自分の正しさを信じていました。自分の力で世の中を良くしたり、他人を幸福にしたりすることができると思っていました。
しかし、いろいろなことがあって、中年に達した頃から公私ともに道に迷ったり、周囲の人たちを傷つけたりすることが多くなりました。いや、若いころからそんな自分だったのに、その年代に達してようやく気付いたのかもしれません。
「俺はこれまで何をやっていたのだろう。このままではこの先の人生を生きることもできないし、安心して死ぬこともできない」と頭を抱え、様々な哲学書や宗教書をひもとくなかで、浄土真宗の教えに出会い、「そのままのお前でよい。そのまま救う」という阿弥陀如来の本願に真剣に向き合おうと決めました。そして、寺族の生まれではない者にも得度の道が開かれている宗学堂を知りました。
僧侶は、阿弥陀如来の本願を人々に伝えていってこそ僧侶です。得度はスタートであってゴールではありませんし、得度しただけで何ができるわけでもありません。しかし、宗学堂と本願寺では、得度の後も僧侶として成長していく機会が与えられます。様々な儀式に出仕し、そのために研鑽することができます。そしてなにより、師・先輩方の暖かい指導があります。いっしょに得度した仲間とは刺激を与え合い、情報を交換して研鑽していける間柄です。
得度して日が浅い私は、儀式も声明もまだ何もできない状態で、僧侶として将来何ができるかなど思い描くこともできません。まずは目の前にある課題にひとつずつ取り組むだけです。ですが、かつての私と同じように頭を抱えて迷っている人一人ぐらいには何かを伝えられるかもという希望を持っています。よしんばそれができなくでも、自分一人が本願に深く頷くことができれば、僧侶として最低限の役割を果たしたと言える気がします。まずはそこからです。
第16期生